不入の権を認めず、年貢を取り立てた事で起きた三河一向一揆。家康はどのように収めるのでしょうか。
鎮圧を図る家康。一向衆の門徒である家臣達の離反にあい難航。
前半…年貢取り立てを機に始まった一向一揆。家康はすぐに鎮圧しようと画策しますが、寺と戦をする事に消極的な家臣達。寺側に付く者も多い。家康が周りを奮い立たせ、寺を攻めるも、銃で反撃され苦戦を強いられます。寺には優秀な軍師がおり、なんと吉良義昭、松平とも通じていました。
追い込まれ、疑心暗鬼になった家康は服部半蔵に見張らせます。
そんな中、夏目広次が裏切り城に立て篭もります。家臣に一向衆門徒が多いため、広次は寺攻めに反対していました。そんな思いを見透かすかの様に、寺側が家康を裏切り、吉良義昭に付くよう手紙で誘いをかけたのです。
より多くの離反者が出るかもしれない。危機感を募らせた家康は半蔵に空誓を殺せと密命を出します。
そして家康自ら寺攻めに向かうのです。
感想…家康の判断が招いた一向一揆。武士対僧侶なので、簡単に鎮圧出来ると見込んだ家康を驚かせたのは離反者の多さ。史実の家康もまさかここまで追い詰められると思っていなかったでしょう。
一向宗に手を焼いていたのは家康だけではありません。1488年、加賀一向一揆がありました。一揆により守護大名が滅ぼされ、一向宗がおよそ100年統治しています。
家康も加賀の一向宗の事など解っていたと思います。だから年貢を取り立てるという事がどれほど重いかも解っていたと思います。家臣に相談もせず!と怒られ、一揆が起こるとは想定外という演出でしたが、そこまで家康は未熟だったかなと思います。
戦国の世に民主の心の拠り所となった本證寺空誓。
その求心力が三河統一の為、当時の家康には脅威に写ったかもしれません。本證寺の正義はしっかり描かれていたからこそ、一向宗への介入をした家康なりの正義、そこに至った勝算みたいなものを、もう少し深掘りしてほしかったですね。
九死に一生を得た家康。衝撃の事実を知る事に。
後半…服部党は寺への潜入に成功。大鼠が毒矢で空誓を射ようとしますが、軍師が現れた為に、半蔵がそれを制します。軍師が誰かを知り驚く半蔵。
場面は変わり、家康は先頭に立ち寺攻めに。寺側に付いた家臣達は家康と気付くと攻撃出来ず、寺に戻っていきます。土屋長吉重治に案内され、寺に入る家康はなんと銃で撃たれてしまうのです。薄れゆく意識の中、家康に今川義元が語りかけます。
天下の主は民衆である、我々は民衆に生かされているのだ。民衆の怒りを買えば我々は死ぬ。
その言葉に涙する家康。
朦朧とする家康に一向宗徒が詰め寄り、ついに家康の身体を貫こうとした時、長吉が家康に覆いかぶさります。
瀬名の呼ぶ声を聞き目を覚ます家康。自分を庇った長吉を呼びますが、その命は尽きようとしていました。
一向宗と自分との狭間で苦しんだ長吉。家康は悲しみの涙を流します。
長吉は近しい家臣に裏切り者がいると告げ息を絶えます。その言葉に疑心暗鬼になる家康。
家康は服部半蔵から一向宗の軍師は本多正信であると告げられたのです。
感想…今回は論語「子貢問政」がカギになっていました。
子貢問政子。子曰、足食、足兵、民信之矣。子貢曰、必不得已而去、於斯三者何先。曰、去兵。子貢曰、必不得已而去、於斯二者何先。曰、去食。自古皆有死。民無信不立。
子貢が政治のことをきく。先生「食糧をふやし、軍備をよくし、人民が信頼することだ。」子貢 ―― 「どうしてもダメなときは、この三つのどれをすてますか。」 ―― 「軍備をすてる。」子貢 ―― 「どうしてもダメなときは、あとの二つのどれをすてますか。」 ―― 「食糧だ。昔から人はみな死ぬが…。信頼がなくては、国は立たぬ。」(魚返おがえり善雄『論語新訳』)
引用元:web漢文大系https://kanbun.info/keibu/rongo1207.html
政治を行う者は民衆の信頼無くしては国を治めることはできない。義元から語られる言葉は、今回の一向一揆を経た家康にとって深く心に突き刺さったでしょう。
政治を行う者として判断の重み、民衆の信頼の重みを痛感した家康は、どうやってこの危機を乗り越えるのでしょうか。

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